ハースストーン Tips

A Note on the Hearth

ハースストーンプレイヤーの備忘録

ネガキャン

私は、ネガキャンじみた愚痴に関して恐らくひどく狭量だ。折に触れて公言してもいる。そのせいで、周囲とのネガキャンの認識の差違によって話が噛み合わなくなることが出てきた。

ここで私のネガキャンに対する認識を明らかにしておくことで、理解をすり合わせたいという狙いのもと書いている。ネガキャンに対するネガキャンのような記事になると思うので、ネガティブな内容が苦手な方は申し訳ないがここから先は読まないほうがいいかもしれない。

 

 

私のネガキャンに対する認識

ネガキャンすることを否定するつもりは全くないが、個人的にネガキャンに対する印象は非常に悪い。

自分の思うとおりに動かないゲームに対して、不満がわき出ることは誰しもあるだろう。私もある。

ゲームで出てきた不満は自分の中で昇華すべきで、それができないのなら他人の目にネガティブワードを晒す前にゲームから離れるべきだと思っている。ただ、これは身も蓋もない考えで、自分で昇華できないからこそわざわざ人前で声高に愚痴を吐くのだろう。それによってゲームデザイナーにフィードバックが行くわけでもなく、ゲームを純粋に楽しんでいるプレイヤーが不愉快な思いをしてしまうことに納得がいかないのだ。

 

放課後、学校の教室が自習室として開放されていた経験はないだろうか。試験前は特に、必死になって自学する生徒でいっぱいになる。当然私語は禁止。なぜなら、学習に集中している生徒の邪魔になるからである。隣の友人に質問することさえ憚られるほどぴりぴりとした重い沈黙だ。

しかし、そんな中でもマナーを弁えず話し声をあげてしまう生徒たちもいる。当然顰蹙を買う。教師が現れ異端者は追い出される。

私は、イヤホンをつけながらでも勉強できるタイプで、話し声やテレビの音程度の騒音であれば全く支障なく集中することができる。だから、物音に異様に神経質になっている教室の雰囲気に違和感を感じるし、話し声をあげる生徒のことも鬱陶しいとは思わない。だが、静かな状態でないと集中が妨げられてしまう生徒がいる以上、彼らが守られるべきであることは理解しており、私が教室を学習の場として使う事はあまりない。

 

snsで愚痴を吐くことは、教室で話し声をあげる行為によく似ていると思っている。異なる点は、ルールとなる教師がいないことだろうか。生徒が未熟者として扱われる学校と比べ、snsの世界はユーザーの振る舞い方に自由が許されている。

しかし、だからといって思うように勝手に振る舞っていい訳ではない。暗黙の了解ながらマナーやエチケットは存在し、意識下か無意識か私たちはそれを守りながら思考を投下しているはずだ。

私もゲームに対して少なからず不満に思うことはあるが、他の生徒の学習の妨げにならないよう、学校を出てから話し声をあげるようにしている。

 

私はこのような考え方を持っているため、万人の目に触れるsnsに愚痴を書き込む必要性について疑問を感じる。

 

TPO

私の主張は大方予想がついたかもしれないが、コミュニティにネガティブワードは必要なく、ポジるユーザーのみで構成される世界こそ平和で素晴らしい、というようなことを言いたいわけではない。人の感性は千差万別で、私が好きなものを嫌う人がいる可能性があることをよく知っている。ただ、それを好きな人が近くにいる状態で、それを批判する必要はあるのだろうか。ぶどうを美味しそうに食べている人に聞こえる声で、そんな不味い食べ物食べていないでみかんを食べた方がいい、などと言ったとして、相手はどう思うだろう。

人は、少なからず他者の感情に共感する性質がある。嬉しそうな人が近くにいれば自分もなんだか嬉しくなるし、悲しそうな人がいれば一緒に悲しい気持ちになるだろう。同じように、否定的な感情も伝播してしまうものなのだ。どこかで鬱憤を晴らすために愚痴るのだろうが、その感情が伝播した相手もそのやり場に困ってしまうことになる。

 

だから、鬱憤を晴らす場所はよく弁える必要がある。私が見るゲーム配信者の中には、自分のチャンネルをはけ口として使っている人もいるが、これはかなりいいやり方だろう。配信には、配信者と似たような考え方を持ち、共感できる視聴者がつくことが多い。ここなら、思い切り愚痴を吐いても視聴者は受け止め、理解し、共感してくれることだろう。万が一考えを異にする視聴者がいた場合は、ブラウザバックしてもらえばいい。snsとは違い、配信では興味のない情報まで飛び込んでくるということはほとんどない。

配信環境が整っていなくとも、身近な人に聞いてもらえばいい。自分をよく知ってくれている人であれば、どういう思考プロセスでそういう考えに至ったのか、きちんと把握した上でしっかり共感してくれることだろう。

 

私が今やっているように、ブログを使うのもひとつの手だ。ブログにまでわざわざアクセスするような人はかなり限られており、そのような人は恐らくタイトルなどから記事の内容をくみ取り、目的意識を持ってブログに訪れる人だろう。ここまでで、見たくない人にまで記事の内容が届いてしまうケースはかなり減っていることと思う。

ただ、自分では昇華しきれないほどの不満を抱えたプレイヤーが、わざわざブログを開き、タイトルをこしらえ、本文を殴り書きするほどの熱量は持ち合わせていないだろうと思う。形ばかりの建設的な考えとしてここに置いておく。

余談だが、このブログはもともと私の友人にカードゲームを教える際のアドバイスの保管庫として開設された。リアルタイムで教えていたところ、友人は自分が何を聞きたいのかもまとまらず、私も1ゲーム中に多くのことを教えすぎていたようだった。これでは非効率的だと思い、友人が必要な時に自分のペースで学べるよう、私のアドバイスを置いておく場所だったのである。言い換えれば、理解の遅い初心者に対する私の鬱憤のはけ口である。今でも私が利用しているほど、非常に重宝している。

 

まとめ

私は、ネガキャンじみた愚痴を自分の耳に入れたくないほど忌み嫌っているわけではない。しかし、それを大きな声で吐き出すことによって萎縮してしまう人も中にはいるだろう。そういう人たちが不憫だし、自分もそういった思いはあまりしたくないので、愚痴を吐くときはTPOを弁えるべきだと思っている。

これはあくまで私の考えで、これを読んだ全員に同じことをしてほしいと思っているわけではない。私があまりに愚痴に辟易したために扱いが雑になってしまい、周囲の人を萎縮させてはいけないと思い、思考の言語化の練習も兼ねて文字起こししたまでである。