ハースストーン Tips

A Note on the Hearth

ハースストーンプレイヤーの備忘録

ちょっと一息 =Gravity=

BUMP OF CHICKEN 『Gravity』

 

両A面シングル曲『Gravity』は小説のような美しい曲で、だから噛み砕くのに長い時間がかかった。未だに消化できていない。しかし、ようやく喉もとを通り過ぎたかと思われる今、歴代の曲の中でもトップレベルに強い思いを私はこの曲に対して抱いている。せっかくなので諸々を書きとめておきたい。

 

 

対訳

ある日の家路、いつものように僕らは少しでも長く一緒にいたくてだらだらしている。

帰らなければいけない時間から目を背けていたが、17時のサイレンや、目に映る蝙蝠に否が応でも時刻を知らされてしまう。帰らなければという雑念をそれらと一緒に振り払おうと口を開きかけたが、ふと止まってしまった。

君の影の動きを見て、なんだか君の存在を泣きそうなほど大切に思ったから。

 

何とも形容しがたい思いが君に対して湧きあがる。なんとか言葉にしようとするが、そんな僕を尻目に君は無邪気に言葉を紡ぐ。こんな今も悪くはないと、いつも喉もとまで出かけた言葉をしまってしまう。笑顔のままで。

 

心の中で思いを巡らせる。

いつか、離ればなれになって会えなくなる日が来るかもしれない。

では、また会ったとき今と同じように心を通わせることはできるのだろうか。

大人びた態度をとったり、わざと尖ってみせたりして気を引こうとしていた。

傷つけてしまったときは誤魔化して、気まずくなった。

そういう全部を愛しいと思えるくらい、僕らは互いを信じることができていた。

一緒につられてくしゃみをしてしまうのを可笑しく思うとともに、刹那泣きそうなほど愛しくなる。

 

時間が過ぎて今が風化しても、君がここにいることは忘れない。

傷ついても弱さを見せず立ち直って、謝る代わりに笑って。

儚くか細い君の指の冷たさがずっと残っている。

 

場面は再び家路に戻る。

依然として言葉にならない思いは胸の奥で燻っている。

だけど僕は君と同じように、今のままで無垢な言葉を紡ごうと思う。

さあ、「またね」とお互いに手を振り、帰ろう。

 

どんな日であろうと、ちゃんと明日が来てほしい。

一緒ではなく、一人だったとしても、「明日」の中に君がいてほしい。

 

所感

いつものことながら描写が抽象的で、多様な解釈ができそうな曲になっている。

現時点での私の解釈を書き起こしたが、確信の持てない部分があまりに多い。

 

BMUPの楽曲の中には、矛盾するような表現が随所で現れる。

・沈黙が騒ぐ

・暖かくて寒気がする

・終わりにしたら始まる

どれも反対の描写が並べられているが、かといって意味を損ねることのない巧みな強調表現となっている。これは今回の『Gravity』にもちりばめられている。

<帰ろうとしない帰り道>

歌い出しからまさに矛盾している。

しかし、理解に苦しむようなことはなく、不思議とすっと頭に入ってくるような、自然な表現に感じさせられる。誰もが経験したことがあるような、普遍的な出来事だからだろう。

<指の冷たさが/火傷みたいに残ってる>

間奏前の非常に印象的な部分に置かれた印象的なフレーズだ。特徴的な描写にも関わらずニュアンスが伝わってくる気がするのはなぜだろう。

 

この曲は、一目見た感じ登場人物は男女二人組である可能性が高い。

 

<いつの日か どっちかが遠くに行ったりして>

この言い回しが二人組の物語であると思わせる。

 

<視界の隅っこ ほとんど外 君が鼻をすすった>

気恥ずかしさから目を合わせずにいる二人組を想起させる表現だ。

 

<触ったら消えてしまいそうな 細い指の冷たさ>

儚さを思わせる女性的な表現に感じられる。

 

すると、この曲はラブソングであるということになる。

しかし、私はBUMPがラブソングなどという陳腐なものをはたして書くのだろうかと未だに思っている。恐らく、男女の関係に限定せず、儚くも固い、大切な人間関係を歌っているのだろうと推察する。懐が深く、共感しやすい楽曲だ。

 

ここからは、気になった表現をいくつか挙げていきたい。

 

<君の影の 君らしい揺れ方を>

とても詩的な表現だと思う。リアルで生々しい。

影の動きを描写する表現は初めて見た気がする。

 

<見つけた言葉いくつ 繋げたって遠ざかる>

この歌で最も気に入ったフレーズだ。作詞者の謙虚さと向上心が感じられる。

私たちは、知っている言葉が限られているにも関わらず日本語を使いこなせる気になっている。しかし、人ひとりの語彙など高が知れている。私たちの使っている日本語は、言語のほんの一部に過ぎない。

それを、詞を書くことを生業としている人が感じているのだ。言葉のインプット、アウトプット量は並外れているにも関わらず。未だに自身の表現力に満足していない姿勢には素直に感服する。

 

<見えない涙拭って 謝るように笑って>

とても強い信頼関係にある二人だからこそできる振る舞いだと思う。

涙を見せないのも、安直に謝らないのも、相手を思いやってこそのことだろう。そして恐らくお互いに相手の気持ちを察している。美しい関係性だと思う。

 

<そんなの全て飛び越えて 子供のまま笑って>

<せーので全て飛び越えて 僕らのまま笑って>

サビでありがちな同じ歌詞の繰り返しかと思いきや、わずかな単語の置き換えで意味が全く異なるものになっている。作詞家の業を見た気がする。

1サビでは、僕の気持ちも知らずに無邪気に振る舞う君の描写になっている。

一方、大サビでは僕も含めた二人の行動を描写している。僕が君の姿を見て吹っ切れたことを暗示する表現だと思っている。

 

<笑顔のまま またねって>

<またね>の言葉選びが秀逸だと感じる。

僕は、明日一緒じゃなくても明日に君がいてくれればそれでいい、という境地まで至っている。にも関わらず、帰路で「また会おうね」という別れ方をしているのがたまらなく切ない。泣きそうになった。