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ハースストーンプレイヤーの備忘録

BUMP OF CHICKEN TOUR 2022 Silver Jubilee 宮城公演 Day2

BUMP OF CHICKENの結成25周年記念ツアーであるSilver Jubileeに参加してきた。あまりに凄すぎて下手に言語化することが憚られるほどだったが、この日は私の人生において有数の大イベントになる予感がするため、日記的な意味も込めて一連の思い出を記録しておきたい。ないとは思うが、ネタバレを嫌うにも関わらずこのページにたどり着いてしまった場合、以降の文は読まないことをお勧めする。

 

 

チケット入手

私がこのバンドを知った頃には既にアリーナ規模のツアーばかりになっていた。アリーナでの演奏はそこでしか得られない高揚感があるし、最近の曲は広い会場の方が映える感じがするためそれはそれでいいのだが、マイク伝いでしか声が聞こえず、会場の広さから音が反響するため音楽を聴くという意味ではベストな場所ではないと思っている。小さい箱に慣れた元軽音部としても、ライブハウスで彼らが鳴らす音に思いを馳せながら昔のライブ動画をネットで漁る日々だった。だから、今回のライブハウスツアーの発表はまさに青天の霹靂だったし、応募したチケットが当選したときは夢を見ているような気分だった。

 

当日まで

今まで参戦したBUMPのライブは全て、アルバム発売後のツアーだった。そのため最新譜を聴きこんでおけば間違いないという安心があったのだが、今回のツアーは趣が違った。バンドが節目を迎えたことの記念として企画されたツアーで、セットリストのコンセプトが全く予想できなかった。私は普段音楽鑑賞をするときはBUMPの曲しか聴かないので、全ての曲を覚えている自信はあった。しかし、会場でライブ独特の空気感に飲まれてしまうことを考えると、BUMP恒例の歌詞変えを楽しむ余裕を持つためには曲を無意識下まで染みこませておく必要があると考えた。それを実現すべく持っているライブ映像やCD音源をフル活用して当日に備えた。

 

公演当日

箱の入場開始時間は18時だったが、ライブグッズ購入用の整理券の番号が若かったため、午前中のうちに仙台に着くように出発した。13時頃にはライブハウスに到着していた。地下鉄の駅を出てすぐのところにライブハウスがあり、周りはBUMPのグッズを身に着けた人たちでいっぱいだった。初めての場所だったが謎の安心感を覚えた。

無事グッズを購入した後は、公演開始までかなり時間があるため、暇をつぶす必要があった。周辺を歩いてみたところ特にめぼしい場所は見当たらなかったため、一度仙台に戻って散策することにした。

私は以前仙台に住んでいたことがある。そのため、仙台市内の土地勘は残っていた。当時の記憶を頼りに駅周辺をぶらぶらしていると、住んでいた頃の感覚が蘇り、懐かしい気分になった、同時に、当時とは違った景色が目につくようになった。バイト終わりに通っていたラーメン屋が無くなっていたり、通っていたCDショップが小さくなっていたりといった風景を見て、感傷的な気分になった。

ちょうどいい時間まで暇を潰し、再度地下鉄にて会場へ向かった。感染症対策として時間前に会場前で並ぶことは避けるようアナウンスされていたため時間ギリギリに到着したのだが、会場前には既に準備万端の人たちがたくさんいた。逸る気持ちは痛いほど理解できる。辺りは暗くなっており、仕事終わりらしき人たちが時々通りかかるような場所だったため大騒ぎしながら待っているような人はいなかった。そのため、今回のツアーをきっかけに知り合ったような二人組が思いの丈をぶつけ合うように語り合っているのが隣からはっきり聞こえてきて、共感の嵐だった。やはり同じ趣味を持つ人同士で好きなことについて語り合う時間は何物にも代えがたい。

時間になり開場すると、スタンディングの前の方から順に入場が始まった。自分は列の流れがよく分からず出遅れたのだが、前に並んでいた人が快く通してくれて感動した。大した出来事ではないように思えて実は凄いことだ。

ホールに入ると、ステージ上にでかでかと掲げられた垂れ幕が目に飛び込んだ。動画で何度も見た、バンドのロゴが入ったものだ。アリーナでのライブでは、後ろにあるスクリーンなどの関係で用意されないことが多い。それを間近で見られただけでもう心の琴線に触れるものがあった。会場の空気感を満喫しつつ、開演を待った。

 

開演

なんと入場曲はThe Whoの『A Quick One, While He's Away』だった。ライブハウス時代の映像を見る限り昔は決まってこの曲で入場していたようだが、私がライブを見るようになってからはめっきり使用する機会が減ってしまった。まさかここで聞けるとは思っておらず、演奏前なのに既に涙腺をやられた。メンバーが位置に着いた後、藤君がギターを高く掲げる恒例の仕草も、BGMが相まって一層かっこよく見えた。

ここから演奏が始まる。一曲一曲感じたことを言葉にしていってもいいのだが、それでは興が醒める思いがするので、全体的に感じた印象を中心に書いていきたい。

セットリスト

1. アカシア

2. K

3. 天体観測

4. なないろ

5. R.I.P

6. Flare

7. 66号線

8. クロノスタシス

9. 透明飛行船

10. SOUVENIR

11. 花の名

12. アルエ

13. GO

14. ray

En1. スノースマイル

En2. ガラスのブルース

 

今回の公演では、時勢を鑑みて声出しは禁止となっていた。私はBUMPと一緒に歌いたいというよりBUMPの演奏をしっかり聴きたいと思うタイプなので、今まで積極的に声を出すことはなかった。しかし、今回ばかりは久々のライブであり、初参戦の箱ライブでありということで声を出せないのがもどかしい気持ちになった。昔は藤君の方から合唱や手拍子が禁止されていたため、当時からは考えられないような状況だ。

MCに対する反応も全て拍手に制限されたわけだが、不思議と意思疎通できているような感覚だった。ひとえに藤君の卓越した共感力と言語化能力の賜物だと思う。紅白に出場するような大物バンドでさえはるばるやってきた土地で会場と心を通わせるのには苦戦することがあるのだが、BUMPにおいては拍手に込められた意図を読み取り、言語化し、ユニークな返答を返すという並外れた芸当を平然とやってのける。彼らの懐の深さを身に染みて体感した。このように超人的な一面を見せたかと思えば、男子高校生の何気ない会話のようなふわふわした話題で会場を和ませることができるのもこのバンドの魅力だ。彼らが話すたびに会場の雰囲気が柔らかくなっていくのを感じた。

 

自分の経験的に、BUMPのライブでは情報過多に陥り、押し寄せてくる感情をうまく処理しきれなくなることが分かっていた。そのため、前日にあったDay1のセットリストで予習して、少しでもライブを楽しめるようにと準備していた。もちろんツアー中の曲目の入れ替えはあるが、自由枠は一部のみだという考えに基づいた行動だ。しかし、蓋を開けてみれば私の予測は見事に裏切られた。アンコール含めた16曲中Day1と同じ曲はわずか6曲のみで、もはや同じツアーとは思えないくらい別物だった。昨今のSNS事情を考慮してのことかと推察するが、メンバーへの負担が懸念される。音が鳴り始め予想が裏切られるたびに、気持ちが昂るとともに4人への感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

セットリストは、心なしかライブハウス映えする曲が多いように感じた。会場が一体となって盛り上がるような打ち込み全開の曲は最近のものに多く、昔の曲はギターをかき鳴らし歌声を乗せるシンプルなバンドサウンドのものが多かった。そのため、昔の曲を織り交ぜるだけで4人を強く感じられるのだが、箱がその感覚を増長させたのかもしれない。肉声が届くほどの距離で歌われる歌、鳴らされる音たちは格別だった。

今回演奏された曲たちの中には、是非ライブで聴きたかったが半ば諦めかけていたものも含まれていた。『K』や『アルエ』はBUMPファンなら知らない人はいないくらいの名曲だが、いかんせん古くもう演奏されないのではないかと思っていた。今と昔では歌い方が大きく変化しており、当時の曲の演奏は難しいのではないかと考えられるからだ。当然ながら当時の熱量をそのまま再現というわけではなかったが、現在のBUMP OF CHICKENのスタイルにしっかり落とし込まれ、圧巻の演奏だった。思いがけず涙腺をやられてしまった。

『透明飛行船』もライブで聴くことは諦めかけていた曲の一つだ。この曲は収録されているアルバム『COSMONAUT』の中でも個人的ランキング上位に入るくらい好きな曲だが、このアルバムの曲はどれもアレンジが細かく、ライブで演奏するのは難しいような印象がある。この曲も例外ではなく、記録を見る限りアルバムツアー以来10年間ライブでは演奏されていなかったようだ。そんな曲を今回聴くことができた気持ちは、筆舌に尽くしがたい。

『天体観測』と『ガラスのブルース』のパフォーマンスに関しては、触れざるを得ない。どちらもBUMPのほぼ全てのライブで演奏されてきたのではないかと思うくらいお馴染みの歴史ある曲だ。『ガラスのブルース』に至っては、バンド結成当初からずっと歌い続けられている曲で、未だに色褪せない様には感服する。

当時は手拍子も合唱も嫌っていた彼らも、今では観客側にマイクを向け、歌の一部を観客に委ねるまでになっている。いずれの曲も、大サビ前の一節が観客の歌う部分とされている。しかし、今回は観客の声出しを禁止されているため歌うことはできない。昔のライブを追体験したい私としては以前のようにこの部分も彼らが歌ってくれることを期待していた。だが、一方でそれは叶わない希望だろうという予測も持っていた。BUMP OF CHICKENはそういうバンドだ。

Day1のセットリストを見る限り、『ガラスのブルース』は演奏されなかったようだ。もはや『ガラスのブルース』は彼らだけの曲ではなく、観客の声が出せるようになるまでお預けなのかと思っていた。それだけに、アンコール2曲目に鳴らされた音を聴いた時の感動はひとしおだった。そして迎えた大サビ前、やはりというべきか。藤君は例の一節を歌わなかった。この瞬間を私は一生忘れないだろう。

 

所感

私とBUMPの曲との出会いは、2006年頃のことだった。当時仲良く遊んでいた一歳上の知り合いにつられて、近所の音楽教室でドラムを習い始めたのだが、そこで開かれる発表会で彼が叩いたのが『天体観測』だった。当時はそこまで音楽に傾倒しているわけではなかったので、一聴してもあまり引っかからなかったのを覚えている。ドラムが特徴的なフレージングだったため、面白い曲程度の認識だった。

それから少し経ち、上の世代の影響で少しずつ音楽を聴き始めるようになると、あのとき聞いた『天体観測』のことを自然と思い出した。今はなきiPodに、当時主流ではなかったダウンロード形式で『天体観測』のみ一曲入れた。当時は曲のレパートリーが少なかったため、この曲ばかり聴いていた。

BUMPの曲はストーリー性があるものも多く、当時流行っていたFLASHで有志により映像がつけられることもあった。ネットで見つけた『K』や『ラフ・メイカー』の動画を見て泣き笑い、学校でも話題になっている中どや顔でBUMPを語る経験を経てどんどんこのバンドにはまっていった。

当時は、『天体観測』を星を観る二人の歌だと捉えていた。しかし、音楽雑誌のインタビューで藤君が話している内容などを見るにこの歌は「雨の唄」らしい。この話を見た当時は意味をよく理解できなかったが、時が経ち更にこのバンドの曲に触れていく中で理解できるようになった。BUMPの初期の曲には、言葉遊びや叙述トリックのような、仕掛けが施されたものがある。真意がありながら多様な解釈が可能で、作詞者本人もそれを認め委ねているというスタイルに感銘を受け、心酔するようになっていく。

卓越した言語センスは当時から変わらず今も健在で、私が追いかけ続けている理由の一つだ。歌詞もそうだし、歌について話しているときも、藤君は言葉の隅々まで気を配り、一言一言大事そうに丁寧に紡いでいく。音楽性をはじめとしてBUMPには絶えず変化してきた部分があるが、そういったスタンスは昔からずっと変わらないおかげで、いつまでも信じてついていけているような感覚がある。

今回のライブでも、これまでのBUMPになかった新しい趣の曲たちを聴きながら、昔からぶれない彼らの芯に間近で触れて、その思いを新たにすることができた。それと同時に、彼らを狭い箱で見て、もはやこの規模に収まる器ではないことを悟った。パフォーマンスも語りも、懐が深すぎて小さな箱で演るにはもったいない。彼らが言うように、どんな会場であろうとだろうと彼らと私たちとの1対1×αの関係性は変わらないと思っている。彼らと私たちがどれだけ離れていようと、私たちが会場に足を運ばなかったとしても彼らはちゃんと音楽を届けてくれる確信がある。

今回のライブは、私にとっても特別な意味を持つものになるだろう。彼らが音楽をやめるまで、やめた後も私の耳が聞こえなくなるまで、彼らの音を追い続けたい。