ハースストーン Tips

A Note on the Hearth

ハースストーンプレイヤーの備忘録

デモコン理論、及びその応用

カードゲームには、ゲームの理解を促してくれる理論がある。

例えばマナカーブ理論だ。少ないドロー枚数で手札に引き込んでいる必要があるため、早いターンでプレイしたい低マナのカードは多めに採用すべき。対してゲーム後半でプレイしたい重いカードは、序盤に引いてもマナが足りず手札で腐ることに加え、プレイターンまでに経たターン開始時ドローで引き込んでいる確率が高いため、少なめに採用すべきであるという考え方だ。この理論によって、構築段階でゲーム中の手札事故率に効果的に干渉することが可能になっている。

 

今回はその理論の中のひとつである、デモコン理論を紹介したいと思う。知っておくとゲーム中に活用できる場面がしばしば出てくる理論だ。

 

 

デモコン理論

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デモコン理論の名前の由来は、MTGのこのカード名から来ている。

このカードの効果は、カード名をひとつ宣言し、自分の山札の上から6枚を墓地に置く。それから宣言したカードが出るまで山札をめくり、そのカードを手札に加え残りを追放するというものだ。

このカードのデザインは、黒マナ1と山札6枚+αをコストに、ほしいカードを手札に加えるというコンセプトになっている。指名したカードが6枚の中に全て含まれていたら、山札がなくなり即座に負けるリスクがある。このコストが果たしてデメリットなのかということに焦点を当てたとき、デモコン理論ではそうではないと結論づけられた。

ゲーム終了時、多くの場合山札が残った状態で決着している。デモコンのコストとして支払われた山札のカードは、山札の内容のランダム性から、これから引くはずだったカードではなく、引かずに終わるはずだったカードとして発想を転換することができる。トップから落とされようがボトムから落とされようが、順序がランダムなのだから同じだろうということだ。

 

しかし、この理論を適用するにはいくつか条件がある。

例えば、山札を落とす前に占術などでトップを固定していないことが必要になる。山札のランダム性を前提とした理論なので、落ちるカードが固定されているシチュエーションでは破綻してしまう。

特定のキーカードに依存したデッキでないことも条件として挙げられる。特定のカードが山札からなくなった瞬間に勝ち筋がなくなるようなデッキでは、山札を落とす行為には大きなリスクが伴う。

山札を引ききらないことも前提として必要になる。落ちたカード内容にゲーム展開が左右されないのは、山札が十分残っている状態だけである。厳密には、落とした枚数、つまり切削した枚数が残り山札枚数を上回った時点で、差分だけ切削の影響を受けることとなる。

 

ミルについて

ここでデモコン理論を紹介したのは、この理論の普及が狙いではない。この理論をミル戦術の解釈に応用できることを確認したかったのだ。

 

ミルデッキは、しばしば不快な戦術をとるデッキとして認識される。これから引くはずだったカードを尽く落とし、ゲームプランを妨害してくるように感じることから不快に思ってしまうのだろう。あるいは、その出目によって切削行為の強さが変わってしまうことから、ランダム性に依存した戦略だと感じてしまうのだろうか。

 

いずれの解釈も、デモコン理論を応用することで見方を変えることができる。

山札の無作為性を根拠として切削札がそれらであった必然性がないと考え、「山札をx枚切削された」という事実にのみ着目するのである。ゲーム終了時まで手札に引き込めず、山札に眠っているはずだったカードを事前に公開した、という解釈に近いと思う。

読んでいるうちに察したプレイヤーもいることと思うが、中途半端な切削行為は相手に情報アドバンテージを与える点で利敵行為であるという解釈もできる。切削によってデッキ圧縮が進んでいくにつれて、トップデッキの確度も上がっていくのである。しかしこれはミルデッキのプレイヤー側にとっても同じで、相手のリストが分かっている場合、切削されたカードからそのゲーム中にプレイされることのない札を予め予測し、無駄のないプランニングをすることが可能になる。

その程度については場合によるところが大きいが、情報アドバンテージに関しては両プレイヤーとも恩恵を享受できると言える。

 

切削された内容が意味を持つのは、デッキを引ききった時、すなわち負ける直前が最も分かりやすい。底まで掘りきってしまった場合は、ゲーム終了時まで引かずに底で眠っているだろうカードとの置き換えができないため、初めて切削された中身が注目されうる。

 

では、ミルデッキが相手の山札を削りきり、LOで勝利を決めたときのみ特別不快なデッキへと変貌するのかというと、そうではないと思っている。

LOによって負けた場合、切削された札がゲーム中にプレイできなかった札となる。このプレイヤーは、切削札がもっと違っていて、あのカードが手札に来ていれば勝機はあったかもしれない、などと反省するだろう。これは、ある状況と酷似している。アグロデッキに為す術無く轢かれたときだ。

アグロデッキに速攻戦術で負けた場合も、決着時の残りの山札は全て死に札となる。もっと序盤用の除去札を引き込めていればあるいは、などとゲームを振り返ることだろう。LOと同じだ。

ミルデッキもアグロデッキも、相手の札を全て受けきる前に倒してしまうことを目標に戦うデッキであるという点で同じ性質を持つデッキと言える。異なるのは、山札をなくすことを勝利条件とするか、ライフを削ることを勝ち筋とするかという点だ。

この勝利条件の違いで、戦術にも差が出てくる。LOという勝ち筋は主流ではないため、切削するための専用カードが刷られなければ戦うことができない。専用カードの種類は大抵のゲームでさほど多くないので、デッキの余白はこれらを引き込むあるいは守る、もしくはLOが完成するまでライフを守るためのカードが多く積まれる。その結果、切削で能動的に勝ちにいくデッキにも関わらずコントロールデッキやコンボデッキの性質を持つデッキとなる。代わりに、盤面での戦闘を介さないため妨害手段が極めて限定的で、戦術の通りがいい。攻めるデッキの中で、遅いデッキやコンボデッキに強いタイプと言える。

対して、アグロデッキは小型を主戦力に序盤から展開し、盤面からの打点でライフを詰めていく戦術をとる。チュートリアルで説明されるほど王道な戦術であり、故に対策も容易である。ブロッカーや除去によってボードからの打点を阻止するか、回復でダメージを打ち消していくのがメジャーな対抗手段だ。アグロ側は、受け側の態勢が整う前にライフを削りきることを目標にする。

 

まとめ

デモコン理論は、山札を落とすことに対する過大評価を是正してくれる理論だ。

私はこれをミル戦術にも応用できると思っている。

 

カードゲームでは、理想的な環境作りの一環として、メタの多様性が謳われることが多い。その一方で、気にくわない不快なデッキには容赦なく当たり、削除を促す意見まで散見される。私は、この否定的な考えはかなり主観的だと思っており、握るデッキを変えたり、そのデッキに対する理解を深めることでかなり改善されるケースが多いだろうと考えている。

本当に多様性を望むなら、好まないデッキを消すことを考えるより先に、視点を変えてみる事が必要なのではないだろうかと思う。